中国での医薬品知財の動向と特許法の第四次改正(前半) ~ 特許法の第四次改正法案の公表(2020年7月)を受けて
1.医薬品の知財制度の改革の全体像
1)改革の背景
「過去の中国」では「化学工場」から出荷されたジェネリック品が「賄賂に満ちた流通網」を経て、病院、患者さんに届けられるという流れの中で、知財保護は出来るだけ狭く・弱くという考え方でした。中国の医薬品産業に対しては、日本の業界人の多くの方々の脳裏には、そういった過去の印象が深く刻印されているように思います。
日本的な感覚に立てば、我々の過去2‐30年の流れを振り返りますと、旧利権を壊して、新しい経済社会を作って行くというのは考えづらい事ですので、今、中国で、進んでいる変化を想像するのも容易ではないと言えるかもしれません。 一般論として、世界のサプライチェーンにおける中国のビジネスモデルは、外国企業が研究開発・設計した商品を中国で“製造”、そして海外へ“輸出”、国内の消費市場へ“販売”する、というモデルでした。しかしながら、それは、環境に負荷がかかり過ぎ、且つ、利幅の薄いビジネスでした。
今、現在において、米中間で、通信・ITの先端技術の覇権が政治問題化していることから見て取れるように、中国は、重点産業分野において、「研究開発」による新技術の開拓・獲得、そういった方向への「舵切」が明確にされており、経済社会が大きく変革しています。そういった中で、医薬品の研究開発は重点分野の一つですが、今回のコロナウイスルで直面している状況が、中国による医薬品の「研究開発力」の強化への政策転換を更に、強く後押ししており、現に中国国内では新薬の研究開発型の企業が勃興してきており成果が上がりつつあります。かかる背景の下で、研究開発の促進の為の制度として、知財の強化が叫ばれています。
医薬品の分野が、米中間で政治問題化している通信・IT分野と異なっている所は、中国が医療分野で大きな国内問題を抱えていており、その制度改革と表裏一体の関係にあることです。医薬品の流通、薬価、保険、製品の品質等の問題がそれです。研究開発の成果はグローバルにインパクトを与えますし、その成果を保護する知財制度の整備は日本がかつて歩んできた道ですので、日本人にも分かりやすい筈ですが、研究開発の成果としての新薬の知財保護は、同時並行的にすすんでいる流通等の国内問題の解決の為の制度改革・法改正とも密接にかかわっていることから、問題が複雑化しており、分かりにくくなっていると思います。特に、これまで中国の医薬品産業のガリバーだったジェネリック企業が自己の存続をかけて利益主張をしている中、過去数年にわたる欧米から「外圧」が加わり、そして、今、米中協議の渦中にあればそれは尚更です。
上記では、医薬品の知財を「研究開発」の推進という発想で捉えましたが、新薬の研究開発型の企業の立場に立てば、自社が投資した成果として得られる新薬が市場に於いて安価なジェネリック薬からの攻撃に立ち向かっていくに際して、中国の知財制度は、どのように保護してくれるのか、といった視点で捉えていくことになると思います。
2)改革の方向性
(1) 外圧
過去、中国での医薬品の知財強化の進展は、自国内の医薬品企業の育成、強化という視点のみならず、中国で製造した消費財等の製品の巨大な輸出市場である欧米から、その反射として中国に対する圧力によって進められてきたと言ってもいいと思います。その典型例が、医薬品の物質特許制度の導入です。日本では1976年に導入されましたが、当時の日本は、日系の各社が中央研究所を設立し、自社研究を本格化していた時期に当たります。日本の医薬品産業の育成政策に合致するタイミングでの導入でした。他方、中国は、1992年の米国との知財保護に関する合意(米中知財保護忘備録)に基づき、同年に中国特許法が改正され、それ以前は不特許事由とされていた医薬品に初めて物質特許が認められるようになりました。ところが、この物質特許導入がされた1990年代当時、中国の国内企業で自前の新薬の研究所を持って研究開発をやっていた企業は皆無と言ってもよい時代でした。従って、当時の日米欧の外資が中国市場でジェネリック薬に対抗して新薬ビジネスの収益を上げることが出来るようにする為に物質特許が導入されたといってもよいかも知れません。中国で新薬の研究が本格的に立ち上がったのは、それから10年後の21世紀に入ってから、先ず、外資企業が上海等に研究所を設立、その後、中国の内資が追従する形で、今日に至っています。
今現在でも中国で製造した消費財等の製品の輸出先である欧米から中国に対して知財面での制度の改正圧力が続いており、今年1月に成立した米中貿易協議書の中に、後述するような中国の「医薬品」の知財制度の強化を求める条項が盛り込まれています。
(2) 医薬品の知財制度改正のポイント
そういった、背景の下で、今、新薬に関する中国の知財制度の改革は、主として次の3つのポイントに絞られています。
- 新薬の特許期間の延長
- パテントリンケージ(Patent linkage)
- 新薬データの保護
法律的には、上記(1)は、特許法の下で、特許庁の守備範囲、他方、上記(3)は、薬事法の下で薬事当局の守備範囲です。そして、上記(2)は、薬事当局、特許庁、裁判所の三者がlinkageによって繋がっています。
旧制度において医薬品の知財保護は、特許法の下での特許保護(出願から20年間の保護)、および薬事法の下での新薬に対する「監測期」の設定による保護でした。
特許による保護については、特許期間は現行では20年ですが、新制度の下では日米欧の制度に倣って特許期間を延長し、長い期間保護を与えるというものです。2020年7月6日に公表された「(第4次)特許法改正案」に該当条文が盛り込まれています。なお、patent linkageについても、同様に条文が新たに追加されました。
薬事法による保護については、旧制度の下で、新薬に対して5年間の「監測期」が設定されて、その間はジェネリック薬に対して承認が与えられないというものでした。しかしながら、日本の再審査制度(8年間の保護)と比べて、当該期間中であっても、ある条件を満たせば、ジェネリックが承認されるという穴抜けがありました。それを新制度の下では、ジェネリックが出現しない期間としての「監測期間」の制度を撤廃し、新たに「データ保護」制度を設けて、薬事法の下で、ある一定期間、日本の再審査期間中と同様にジェネリック承認を与えないという制度の導入が予定されています。尚、昨年末に発効した「薬事法」及び7月1日の「医薬品登録管理弁法」には、旧法下にあった「ジェネリックが出現しない期間としての監測期間」の規定が削除されましたが、他方、「データ保護」に関する新しい規定は入っていません。この「データ保護」については、「薬事法」と「医薬品登録管理弁法」の中間に位置する「医薬品管理実施条例」を含むその他の法律で規定される方向で検討されています。
本稿では、先ず、「新薬の特許期間の延長」について、解説致します。
2.「新薬の特許期間の延長」
1)新薬の特許期間の延長制度の検討経緯
(1)2017年、政策文書
特許期間の延長制度の導入の方向性が正式に公表されたのは、2017年の国務院による「医薬品等の承認審査制度の改革及び医薬品等のイノベーション推進に関する政策文書」でした。その中で、新薬のイノベーション推進の為として、「データ保護」、「patent linkage」と並んで、「特許期間の延長」制度を導入するとしていました。概念が述べられているだけで、具体的な延長の条件・期間・手続き等については、言及されていませんでした。
(2)2019年1月、特許法改正案(「2019年特許法改正案」)
特許期間の延長制度の骨格が初めて具体化したのは、特許法改正案が2019年1月に公表された時でした。その中で、「中国の国内及び国外で同時期に上市の承認申請をするイノベーション薬をカバーする特許は、その特許期間が最長5年延長される。但し、上市後の特許の存続期間は14年を越えない。」と規定していました。この案については、下記の点が議論の対象となりました。
i)「中国の国内と国外で同時期にNDA申請」
中国では経済的に中間層が厚くなり、新薬へのアクセスに対する社会的な要求も膨らんでいるなか、所謂、ドラッグラグが社会的な問題となっていました。海外企業の開発にかかる新薬が欧米に比べて、中国への上市が大幅に遅れていて、中国国内の患者に新薬のアクセルが与えられない状況が続いていました。かかる状況を踏まえ、中国政府は、「外圧」に対して、海外企業の有する中国特許の延長を認める見返りとして、延長の対象となる新薬が、中国の国内及び国外で同時期に上市の承認申請(即ち、NDA申請)をするとの条件を付けました。
ところが、この要件は、中国の国内企業の立場に立った場合、国内に加えて、海外でもNDA申請する必要性が出てくるので、国際化の進んでいない中国企業にとって不公平である。また、海外企業の立場に立った場合、中国の特許延長が認められる為には、海外と同時期に中国での開発を進めて中国でNDA申請をせねばならず、かかる要件が課されていない欧米日韓等の諸外国の制度の下で中国企業が延長の利益を享受できるのと比べて、公平性に欠けると。
ii) 「上市後の存続期間の制限」
欧米とも延長期間は最長5年ということで同じであるが、上市後の存続期間の足切りは、米国は14年であるが、他方、欧州は15年であり、その点、再検討の余地があるのではないか。
尚、具体的な、延長期間の計算式は、特許法より下のレベルの細則等で処理されることになると思われますが、日本方式(特許成立日から新薬承認日までの期間)ではなく、米国方式(臨床試験期間×50%+承認審査期間)をベースに検討がされています。
(3)2020年1月、「米中貿易協議書」
その後、米中貿易協議書が今年の1月に発効となりました。協議書は、知的財産、農産物輸出、金融サービス問題が柱となっています。その第一章が知的財産に関するもので、営業機密保護、医薬品に関する知財問題が扱われています。医薬品に関する知財問題としては、具体的には、特許期間の延長、及びpatent linkageに関連する規定が盛り込まれています。
尚、この米中貿易協議書の規定と「2019年特許法改正案」との違いのポイントは次の通りです。
i)「2019年特許法改正案」で延長の条件とされていた「中国の国内及び国外の同時期のNDA申請」との要件が米中貿易協議書には盛り込まれていないこと。
ii)特許期間延長の対象となる発明の種類について、米中貿易協議書では、上市の承認の対象となった医薬品及びその使用方法に対応する物質、用途、製造方法の発明に関する特許が延長の対象になる、と明記されていること。
この米中貿易協議書では、米国は、中国に対して医薬品の知財保護の改正を求めると同時に、米国が自国内で既に与えている知財保護のレベルは、中国に求めているレベルと同等又はそれ以上であるとの宣言もされています。その意味で、中国が米国からの外圧をベースになされる改正については、米国の制度の下で与えられる知財保護レベルが中国で与えられる保護の上限になりうるとも言えます。
2)2020年7月の特許法改正法案
先週、公表された「2020年特許法改正案」では、前回の「2019年特許法改正案」から下記の点について修正が加えられました。
i) 特許期間の延長の対象となる医薬品の範囲が、「2019年特許法改正案」では、「イノベーション新薬」をカバーする特許が延長されるとしていたのに対し、今回の改正法案では、「新薬」をカバーする特許としており、延長対象の医薬品の範囲が拡大したこと。
ii)「2020年米中協議」での合意文言を踏まえて、特許期間延長の要件とされていた「中国の国内及び国外の同時期のNDA申請」との要件が外されたこと。
上記i)の変更点の背景として、中国での医薬品の分類(新薬、ジェネリック等)が、今回の「2020年特許法改正案」の公表に先立って、中国の薬事法の下で施行される「医薬品登録管理弁法」(7月1日)の改正によって、分類の編成替えがなされ、下記の通りとなりました。この分類の趣旨ですが、NDA承認申請の対象の医薬品がどの範疇に分類されるかによって、申請するに際して必要とされるデータ・資料の範囲が決定されます。
第1分類:イノベーション薬(国内外未上市の新薬)
第2分類:改良型新薬(新製剤、新適用症等の新薬)
第3分類:海外で上市されているが中国で未上市の医薬品のジェネリックを中国で製造する医薬品
第4分類:ジェネリック薬
第5分類:海外で上市されているが中国で未上市の医薬品のオリジナルメーカーが中国へ輸入若しくは中国で製造する医薬品。
上記i)の特許延長の対象となる医薬品の範囲が拡大したというのは、「2019年特許法改正案」では、第1分類の医薬品が対象であったのが、今回の「2020年特許法改正案」では、第2分類も明確にその範疇に入ったということです。なお、日本の医薬品企業が日本で上市済の製品を中国に導入する場合、日本での上市の承認取得前に中国でNDA申請すれば、第1分類となりますが、そうでない場合には、第5分類の範疇に入ってきます(尚、第5分類の場合、NDA申請時に必要とされるデータ・資料は少なくて済むようになる)。その場合に「医薬品登録管理弁法」上は「新薬」の扱いにはなりませんので、そのような医薬品が延長の対象になるか疑問が残ります。しかしながら、そもそも、「2019年特許法改正案」の延長要件とされていた「中国の国内及び国外の同時期のNDA申請」における「同時期」とは、海外で上市の承認がされてから1-2年内に中国でNDA申請することを意味するとされていたので、多少の余地がありそうな状況です。 尚、今後、特許法の下で、公表される細則等の中で、「新薬」の範囲が規定されて行くことになる見込みです。また、上記で述べた、延長の計算式、延長の対象となる発明の種類等についても同様です。
3) 日本企業の検討課題
新薬の中国特許の期間延長を得る為の要件として、「2020年特許法改正案」では、「2019年特許法改正案」で規定されていた「中国内及び国外の同時期のNDA申請」との要件が外されました。しかしながら「新薬」であるとの要件が残っており、その「新薬」の範疇に入る為に、前記のような形を変えた同様の「要件」が課されることが想定されます。
欧米の多国籍企業は、中国の医薬品市場の将来の規模拡大を見据えて、15年以上前から上海、北京等の主要都市に研究開発施設を開設し、数千人の研究開発要員を抱えているところもあります。それらの企業の多くは、自社の新薬の開発については、欧米との同時開発体制を既に敷いており、品目によっては欧米に先駆けて、中国で最初に上市の承認を取得する例も出て来ています。従って、そのような多国籍企業にとっては、たとえ、特許の延長が得られる要件に「中国の国内及び国外の同時期のNDA申請」が加わったとしても、彼らの現状のビジネス・開発モデルから大きく逸脱することにはならないとも言えます。
これに対して、日系の医薬品企業各社は、欧米の多国籍企業と比べると、将来の中国市場の成長に対する考え方が異なっているからだと思いますが、中国でのグローバル同時開発体制については、出遅れ感は否めないとも言えます。そういった現状を踏まえ、自社の中国での開発体制を整えるのと同時に、中国への巨額の開発投資(インフラ整備も含め)を短期間で実行に移すことが難しい場合には、開発の早期の段階から、信頼できる中国企業との連繫も視野に入れて行くべき時代に入ってきていると思います。
(つづく)
Author Profile
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弁理士 (川本バイオビジネス弁理士事務所(日本)所長、大邦律師事務所(上海)高級顧問)
藤沢薬品(現アステラス製薬)で知財の権利化・侵害問題処理、国際ビジネス法務分野で25年間(この間、3年の米国駐在)勤務。2005年に独立し、川本バイオビジネス弁理士事務所を開設(東京)。バイオベンチャーの知財政策の立案、ビジネス交渉代理(ビジネススキームの構築、契約条件交渉、契約書等の起案を含む)を主業務。また3社の社外役員として経営にも参画。2012年より、上海大邦律師事務所の高級顧問。現在、日中間のライフサイエンス分野でのビジネスの構築・交渉代理を専門。仕事・生活のベースは中国が主体、日本には年間2-3か月滞在。
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